村田兆治
「いい加減にしろ!」
180センチ超の老紳士が空港でこう声を荒らげたのは、午後1時半過ぎのことだった。9月23日、往年の名投手・村田兆治(72)が逮捕された。
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女性検査員の肩を突き飛ばし…
「村田氏は25日に行われる北海道でのプロ野球OBのイベントに参加予定でした。羽田空港の保安検査場で携帯電話を持ったままだったことから何度も金属探知機に引っ掛かり、女性検査員に激高。肩を突き飛ばして逮捕された。25日に釈放され、今後は在宅で捜査が続けられます」(社会部記者)
村田といえば「マサカリ投法」と呼ばれるダイナミックなフォームから繰り出される剛速球を武器に、最多勝や最優秀防御率などタイトルを多数獲得した。
「記録の裏には壮絶な努力がありました。最大の武器・フォークボールの強化のためにテニスボールを人差し指と中指に挟んだままテープで固定して寝てみたり、車のハンドルも家のドアもその2本の指で挟んだりしていた」(スポーツ紙記者)
夕飯には毎日15品以上を並べた妻
そんな村田を陰で支えたのが2つ上の姉さん女房、淑子(よしこ)さんだ。体調管理のために夕餉には毎日15品以上を並べ、食材や調味料にもとことんこだわった。肘を壊した村田のために数多の病院を行脚。行きついた先はアメリカの名医ジョーブ博士による「トミー・ジョン手術」だった。キャセイパシフィック航空でグラウンドスタッフを務め、イギリスの語学専門学校で英語を学んだ社長令嬢だった淑子さん。夫に付き添って渡米し、通訳やリハビリを手伝った。妻の献身的な支えもあり村田は「奇跡の復活」を果たす。90年の引退までに215勝。05年には野球殿堂入りした。
引退後も球界のために尽くした。離島にある中学校の全国大会「離島甲子園」を提唱し、全国の野球教室にも精力的に参加。村田と共に何度も子供たちを指導した張本勲氏が語る。
「ボランティア精神が旺盛で、フォームや球の握り方とか、細かいところまで熱心に教えていた。子供たちにも人気がありました」
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